原 龍三郎  はら りゅうざぶろう  1888,7,15 長野県飯田生  1968,12,30 仙台没
 応用化学者・工博
先祖は金沢の士族、父が飯田の中学校長在任中に生れた。一高を経て1913年東大応用化学科卒。九大講師、1914年助教授、1917年新設の東北大工学部に転じ、1922年助教授。1947年健康上の理由から定年に2年先立って退官。初期における研究の中心は窒素固定に関連する。青化物に関するもの、とくに青化水素の物理化学的性質についての精緻を極めた研究は特筆に値する。我国ソーダ工業のために考案した液体アンモニアソーダ法の開発(1932)は、食塩の夾雑物がこの溶液に溶け難い点を利用して十度の高い製品が得られるにもかかわらず、牧山工場で試験された後、工業化までは至たらなっかた。我国において独創性がいかに実現され難いかを示す例証である。1944年東北大に設置された非水溶液科学研究所の初代所長となる。彼は研究と教育には厳しい態度をとったが、見識の高いひとで、階層、年齢を問わず接するすべての人に慕われ尊敬された。東北大学総長に推されたが受けず、1955年日本化学会長に再び推挙されたが謙虚にも固辞した。1957年学士院会員、1963年文化功労者、1964年日本化学会名誉会員。墓は仙台輪王寺。
 日本化学会会長
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